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天網恢恢疎而不漏

最近の保守政治家について思うこと

ちかごろ,杉田水脈議員や片山さつき議員の話題が,絶えない。

 

女性の社会進出が足りない,もっと管理的地位に就かせろと言っていた人たちに対する,安倍首相一流のパンチが効いた皮肉,換骨奪胎だと思う。

 

元来,筆者は保守的な考え方を持っている。

まずもって,保守的でないものは(物理的に)うるさい。これは体質の問題でしかないのだが,ボールバーティーのようなアメリカンなもの,ヒッピー音楽的なもの,これらの騒音を受けると,筆者の場合,たちまち混乱,動転し,意図しない言動に出てしまう。

こういう混乱状態のときの言動に限って人に見られており,やり玉に挙げられ,これが原因で,よく失脚させられてきた。

というわけで,騒音の激しい場所には行かないようにしているのだが,どうしてだろう,「リベラル的な空間」というのは,往々にして騒々しい。

田舎よりも都会のほうがリベラル的であるが,都会は騒々しい。

リベラル的な都市ナンバーワンの渋谷区は,表参道を取っても原宿を取っても道玄坂を取っても,騒々しい。

あまつさえ,群衆の前で変な恰好をして注目を集めるのが楽しいというような,混雑や騒音そのものをエンターテインメントに転化するような事さえ行われている。

また,リベラル的な思想というのは,その多くが欧米諸国から来ているのであるが,欧米諸国は騒々しい。

 

かつて港区に住んでいた頃,あの慾望の街ーー六本木まで徒歩5分であったが,あの交差点を自転車で駆け抜けるときの恐ろしさは忘れられない。交差点の全ての角に,魑魅魍魎たる黒服のインド人?が立ち塞がっていて,日本の一般的なそれとは別の秩序,結界が張られているようにしか思えないのである。

おまけに,コンビニや飲食店の店員はほとんどが外国人労働者であり,相応の威圧感がある。深夜になれば路上に繰り出してきてストロングゼロを片手に騒ぐ。しまいには,港区が傭ったガードマンまで外国人になっていた。

ある種の経営者の間では,六本木に住むことがある種のステイタスとなっているようだ。しかし筆者は,経営者をクビになってから,これ幸いとばかりに,喜んで港区から撤退した。圧倒的歓喜であった。

 

こういうわけで,リベラル的空間というのは,筆者にとって,往々にして,生活の平穏を害する騒音空間なのである。他方で,いつもやり玉に挙げられる日本会議の……いや,神道の神社というものは,なんと静かなことか!

高校時代は,よく高知城前の山内神社*1の境内で授業をサボり,ハトを眺めて過ごしたものである。神社は静かであるばかりか,圧倒的に涼しい。

田舎に行けば,駅前にも不要不急の店舗がない。不便ではあるが道路も広く,ゆとりがある。地代が安いので,物価も安い。

このような形で,伝統的な日本,リベラル的思想や外国の文化に開拓されていない日本は,筆者に結構大きな幸福をもたらしてくれる。そういう意味で,筆者は日本が大好きだし,保守政党も大好きだ。

 

いっぽうで,この記事をわざわざ書いた理由は,最初に名前を挙げた2名を含む保守政治家らに,ひとつ,重大な点が欠けていると思わざるを得ないからである。

知識人,文化人の皆さまが,保革問わず書いてくれないので,後年忘れないためにも自分で今書くことにした。

仲間を守る,身内を守るという同胞意識が,近年の保守政治家には圧倒的に欠けている。三島由紀夫の演説を読んで抱く違和感と,同じものを覚える。

悪政や腐敗を打倒するのも,アメリカ軍の押しつけたる昭和憲法を粉砕するのも,天皇陛下を奉るのも大変結構だと思うのだが,決定的に,同胞たる日本人やその福利への配慮が欠けていると言わざるを得ない。全部が概念なのである。

ここまで言及がないと,単なる票田もしくは頭数,あるいは納税者としてのみ利用しようという魂胆なのではないかと疑わざるを得ない。

伝統的に,一国の文化と国土,人民はセットで考えられてきたはずだ。代々にわたって日本に土着してきた日本人を抜きにして,日本の伝統や文化なるものを観念することはできない。

 

ところが,安倍首相が「取り戻す」という日本というのは,アベノミクスひとつ取っても,日本に土着している人民の地位を無視して,日経平均株価やGDPのようなデータの上でバブル期以上に反映している「日本」であるように思える。

あくまでのデータの話であるから,生活の実感として昔より豊かであるかどうかという問題は,この場合考慮されない。

表面上のデータ,または教育勅語のようなゲイシャフジヤマ的な記号を「日本」の実体であると信じ込んでこれを追求する姿勢には,とりわけ大きな危険を覚える。

記号崇拝というのは,フランス革命ナチスドイツ,日本赤軍のような,最終的には暴力へと堕していった「革命的勢力」が,例外なく通ってきた道である。

表面上のデータが富そのものであると思い込み,自らの生活や,社会とのつながりに関係がない場所,他者との表層的な比較の中に成功があると思い込む姿勢は,多くの経営者や投資家を,金融犯罪や反市場勢力,暴力団との付き合いに誘っていった地獄への道である*2

要するに,地に足がついていない,観念主義の保守なのである。

 

筆者が求めている保守政治というのは,理念または観念としての「日本」を取り戻す政治ではなく,実際に福利の高い生活として,日本にために長年勤労に励んできた同胞が,その果実を,いつでも日本から離脱しうるという意味において日本に何ら責任を負わない外国人に横取りされることなく,社会全体への分配によって享受することができる政治なのである。

 

筆者は無論,一般的なリベラル的勢力が提示するような,不法滞在者が,血税の負担において不法に日本国籍(や生活保護)を得ることができる社会には不賛成である。

しかし,いっぽうで,現在の保守政治のもとでは,その外国人さえも,低賃金労働者として,日本の産業界に青春の3年ないし5年間を搾取されるなど,いいように利用されていると感じざるをえない。それが日本人労働者の賃金の下方修正にもつながっているのだから,皮肉である。

 

ここ1年ぐらい投票用紙が来ていないが,今度はどこに入れようか。ちなみに,選挙権を取得して以来,「革新勢力の脅威に怯える自民党政権が一番まともだ」との観点から,機械的共産党候補に入れている。きっと,次回もそうするだろう。 

*1:やまのうちじんじゃ。何を隠そう,土佐藩主山内家の氏神様である

*2:最近はSNSを通じて,下層労働者までもがこの道に引きずり込まれているので,地獄絵図を感じる