Serve One Another

天網恢恢疎而不漏

他人の生い立ちは圧縮ファイル

私は,他者との関わりが,極めて希薄である。

今に始まった事ではない。小学校高学年のあたりから,そうなのである。思えば,小学校5年生以降,誰かを遊びに(「会わないか」,と)誘ったことは,数えるほどしかない。

 

・小学校5年頃,板橋区成増在住の友人を,テレビゲームをしないかと誘った

・中学校2年頃,千葉県松戸市在住の友人ら2人を,足かけ3回ほど,カラオケに行かないかと誘った

・中学校3年頃,豊島区目白在住の友人ら5人を,カラオケに行かないかと誘った

・高等学校3年頃,高知県窪川町在住の友人ら2人を,カラオケに行かないかと誘った

・大学1年頃,三鷹市大澤在住の友人を,遊園地に行かないかと誘った

 

……

自分でも冗談のようにしか思えないが,以上が,ここ11年で他人を遊びに誘った行為の,ほとんど全てだと思う。

もちろん,これら以外にも,遊びに行ったこと,ご飯を一緒にしたことは,多々あった。それらは,ほとんど全部,相手から誘われて,断る理由がなかったので,出向いていったものである。

書き起こしてみると,社会通念上客観的に見て,相当に少ないことがわかる。

いや,実際は,他人に同じような質問をしたことがないから,社会通念では何が普通なのか,などわからない。

しかし,これが一般的に考えられる水準よりも,著しく少ないことぐらいは想像がつく。

 

そうすると,必然的に,おまえは,他人に興味がない冷徹な人間なのか,という趣旨のツッコミが入る気がする。

しかし,それはそれで違う。別にそういう事ではないというか。

他人の身の上話を聞くことは,基本的には,大好きである。本人が話したがっているのに,聞かないのは失礼だ,という考え方もある。

だから基本的には聞く。理解はする。しかし,真に寄り添えているかというと,それは全然,そうではないのだ。欺瞞的と言われても仕方がないぐらいである。

というのも,他人の全体験は,基本的に,私のそれとまったく異なる,そのひとに所与の時代背景や感受性を前提とされている。

その全体を,かぎられた時間(平均20分前後)で,かいつまんで聞かされることしか,私には,できない。

データとしては,デコーダがないから回答できない。そこで,文字コードぐらいは合致している別の既存デコーダをかろうじて適用し,データの破損に苦しみながら,限られた知識と能力で,最大限の理解を試みる。

しかし,どうしても,完全には理解することができない。そして,完全でない理解のしかたを前提として,その問題について意見すること自体が,いわゆる「失礼」となる。

そうすると,他人の身の上話を聞いた,大いに同情したはいいものの,何もリアクションを取ることができない,という状態に追い込まれるのだ。

それを,他人は「話を聞いていない」と解釈する。

ときには,個人個人の体験や思念とは別の問題として,抽象的な意味で,問題そのものを取り扱うことができる,思考力の高いひとも,いる。

そうした人と,社会問題(とされている)ことについて議論するのは,無上の喜びである。

しかし,話す相手,一緒に働く相手を選べないのが,人生なのだ*1

 

*1:地位確認請求訴訟を起こされた社長様には是非よく考えてもらいたい問題である