Serve One Another

天網恢恢疎而不漏

誰がこんな奴にごめんなさいするか

3月初頭のことである。

世間が花見やら桃の節句やらで騒々しい中,私は絶望の日々を送っていた。

上司や同僚が(特に理由がないのに)引き起こした様々な問題。社内政治。突きつけられる無理難題。

私はすっかり打ちのめされ,しかし投げ出すわけには行かないと日々労働に勤しんでいた。

そんなある日,私はオフィスのPCで,唐突にも「精神病院」とタイプして検索を始めていた。表示された神田のメンタルクリニックは,予約不要であることを特長としていた。

私はすぐさま,この少し遠くのメンタルクリニックに飛びつくことにした。このときは,名前も顔も知らない病院の受付嬢に電話して姓名を明かし,予約をする元気すらなかったのである。

はじめてのメンタルクリニック

会議を乗り越え,16時過ぎ,ようやく病院に滑り込んだ。広告どおり,予約の有無さえ聞かずに迎えてくれた。

待合室であからさまにメンヘラといった風体の女性を見つけ,けったいなことだと思いかけたが,すぐに私も同類であることを思いだし,口をつぐんだ。

待合室で10分弱待つ間にも,会社からはSlackで矢のように通知が届いていた。自分にとって都合の良い事実しか認識せず,自分以外の誰にも同情しない,変わり者のAIのような者が多かった。この場合において,事実を摘示すること以上の悪あがきはなかったのである。

——(同じ「現実歪曲フィールド」なら,Appleのように素晴らしいフィールドで踊りたかったな)

そんな思案をしたものである。

上司からの畳みかけるようなSlackに翻弄されながら,片翼をもがれて墜落する零戦のようなありさまで,私は診察室に逃げ込んだ。

私は先生に状況を説明しようとしたが,学徒時代偏差値60未満をとったことがない国語力がウソのように,何も言葉が出て来なかった。

「上司がすべてを私のせいにして,役員もそれを信じ込んで,面と向かってや電話ではなく,チャットツールで私を追い詰めるんです」

こう表現するのが精一杯だった。先生は休職したいかと聞いたが,私は生活があると答えた。すると先生は,それでは貴方が強くなるしかない,私は貴方を強くすることはできないが,それを助けることはできると言いながら,3種類ほどの知らない薬が記された処方箋を作り始めた。

病院を出たときも,上司はひっきりなしに私にSlackを寄越していた。私は爆撃の音に耳を塞ぎながら防空壕を目指す人のように,薬局に向かった。薬局では,早く薬がほしいのに局員が「お薬手帳」の話をしきりにするので,大変苛立ったことを覚えている。

誰がこんな奴にごめんなさいするか

薬を手に入れた私は,まだ知らないその効能を楽しみとし,他方では恐れつつ,労働に戻るため銀座線のホームを目指した。せっかく都心に越したのに,三越前にも行ったことがなかったなと,昔のことのように回想していた。

新橋方面に向かう列車を待っていると,後ろで子供らの争う声がした。小学校にちょうど上がったぐらいの男の子だった。それぞれ母親に具されており,何かもめ事をしたようで,片方がもう片方に謝罪するような流れになっていた。

すると,まさに謝罪をするところだった方の男の子が,

「誰が,こんな奴に,ごめんなさい,するか〜!!」

と,大声を上げたのである。

私はハッとした。

仕事で追い詰められると,自然と,そこで発生するトラブルがすべて自分のせいであるかのような錯覚に陥ることになる。また,他人をそういう状態に追い込むことを得意としている人種も存在する。

社会的な力関係の中で,理不尽が理不尽であると指摘するのは難しい。そして指摘をしないうちに,それが理不尽であるという事さえも,忘却させられてしまうのだ。

声を上げた男の子は,必死に告発していた。大人の言語力には,決して敵わなかったに違いない。親や先生がこぞって「君は間違っている」といえば,旧ソ連における見せしめ裁判よろしく,結局はすべての容疑を認めざるを得ないだろう。

しかし,まだ尽くされていない弁明がある。判事らの知らない真実がある。仮に言葉にできなかったとしても,ある。

そんな状況があり得ることを,彼は思い出させてくれた。

強くなること

それから私は,薬効もあいまって少しだけ強くなった。

昔から平坦な人生ではなかったが,私が積極的に社会を破壊する側に回ろうとしたり,誰かを蹴落として成功する目的でことに臨んだことはなかった。

それでも不幸なすれ違いから,人間関係がうまく行かなくなったことはあった。容姿や性別はじめ色々な原因による差別もあったと思う。

しかし基本的には,その場その場でプライドを持って,能力的に合理的に責任を果たそうと努力してきたつもりだ。

……それなのに,全部が私の責任。そんなことは,きっとあり得ない。

昔からの生き方を思い出すことで,私は自分を責めるのを止めることができた。そのために,少しだけ強くなれたのである。

桜も散り始めたころ,会社は私を解雇するとかしないとか,そういう事を仄めかし始めた。退くか戦うか,決断は迫っていた。

私は少し迷ったが,後者を選んだ。入社以来の忠誠心や責任感にウソはなかったし,そのことは労働時間はじめ,各証拠がハッキリと示していた。むしろ,事実を事実として認識せず,自分にとって都合の悪いこと,イヤなことは1ミリも認めないという人々が一致団結して,私の行く手を阻んだというのが私の見解であった。類は友を呼ぶのだ。

私が示した意思に,会社は私に色々な疑惑をぶつけてみることや,私の過去の言動にあれこれと第二の解釈を加えることによって応じた。ここで降りかかった火の粉との戦いは,じつは今も続いている(いつか,状況が許す限り詳細に紹介したい)。

しかし私は怯まなかったし,恐れることもなかった。私は法律を遵守し,誠意を持って他人と接していた。そんな私が陥れられるぐらいなら,この社会など必要ない。社会が正直に生きる人々にとって希望のある場所であり,必要であることを証明するために,私は戦うのである。

無限の傲慢と欲望

月に300時間以上働いていた頃はじめ,今でも,東京にいる限りいつでも思い至ることがある。

東京では,無限の欲望と傲慢さが全面的に推奨されているという事実だ。

私はビジネスを興したこともあったし,働くのは好きだった(今も好きだ)。しかし,その主たる目的は六本木ヒルズに住むことや銀座で回らない寿司をパクつくことではなく,私の着想と能力の実用的であることを示し,幾許かの糧を得ることであった。

しかしここでは,六本木ヒルズに住んだり,雅叙園の近くに居を構えたりする目的を有していることを前提に,話が進んでいる。私は仕事上の利便から麻布区に住んで半年と少しになるが,いよいよ一種の困惑を覚え,不快で震えが止まらないほどにまでなってきた。

清潔であることや健康であることは,重要である。しかし,反社会的勢力すれすれの怪しい商売人や,政府と近いと称するナゾの人物,相場師や芸能人,カネのためなら何でもする種類の専門家,これらとつるんでまで「上」を目指し交際に励むのは,もはや尋常なことではないと思った。

私はかりに一時であっても,このような世界に接近してしまったことを,自ら深く恥じている。その結果として,私が巻き込まれたトラブルは相当始末の悪い展開になりつつあるが,いわば「自己責任」である。

自らのワガママ,欲望,見栄のためならば手段を選ばず,悪魔にも魂を売る。

そのような勢力と関与した時点,相手がそうだと見抜けなかった時点で,もうアウトなのだ。これが成人の,「自己責任」という考え方である。

今後のために

私は,今後改めて仕事を選ぶときは,なるべく誠意を持って仕事に臨めるような種類のそれを選び取ろうと思う。

健康を犠牲にすれば幾らかの快楽が得られるように,良心を犠牲にすれば,やはり幾らかの富を得ることができる。しかし,心の平穏だけは,どんどん遠ざかっていく。

このブログのサブタイ「天網恢恢疎而不漏」は,この原則をいつでも思い出せるように設けている*1

世の中の人々の大部分は,良心に従って働き,それで家族を養えて少し剰るぐらいの金銭を得られればいいと思っている。細かい点で意見は違っても,私の仲間であると信じている。

それ以上の高みを目指すのは自由だが,その目的を達成するために他人を陥れたり,嘘を並べたり,その他隠れて社会に迷惑をかける人間は,その肩書を問わず「迷惑」だ。その嘘は必ず暴かれ,その時,本当の意味で助けてくれる人はいない。

私はトラブルにこそ巻き込まれたが,助けてくれる人も,励ましてくれる人もいた。一部のひとを除いて,明確な恩返しができていなかったり,私の方からは絶対に裏切らないという事を証明できていなかったりする事だけが心残りだ。

同時に,私がこのような考えに持てるように導いてくれた,教養と良識のある両親に感謝した。無知の深淵を覗き込むたびに,あちらの側には旅立ちたくないと思う。

そこでは常に,他人に対する相対的優位だけが価値の証明とされているからだ。

 

*1:高校2年生の頃,池田晶子先生の書で最初に学んだ言葉である