話題を呼んでいるフロリダの銃乱射事件について、国際基督教大学の、とある卒業生がこんな投稿をした。
6月13日(月)15時07分
あまりこんなことを投稿したい訳では無いけど、さすがに日本のメディアのignoranceに我慢できなくなって、、、
Firstly, rest in peace and power to the innocent victims who lost their lives. I pray for strength to those who have been injured and to all who have been affected.
この銃撃事件について日本のメディアも取り上げているけれど、ISISが関わっていたテロだということだけを重点的に言って、事件現場がLGBTのバーだったということを一切言わないのはなぜ?
どの記事を読んでも、ニュースを見ても、ただ「ナイトクラブ」としか記載されてない・言ってなくて、例え同性愛者が集まる場所ということに関して触れていても、最後におまけレベルでしか取り上げていない。(これは5/13の午前中の時点で。時間が経つにつれて増えてきている。なので時間の問題かもしれない。)
でもアメリカのニュースや海外の友達の投稿を見ていると、今回の件においてはLGBTQのマイノリティーがターゲットであったことにとてもsignificanceがあることが感じられる。ただのナイトクラブで起きるのとはまた全然違ったメッセージ性と意味合いがある。
なのに、その点について深掘りしようとしない日本のメディア。改めてこの国の保守的さを感じた。そこまで事実について触れるのが怖いの?なぜ情報をそこまで濁すの?
私には理解ができない。もっと誠実に現実・事実と向き合いジャーナリズムに取り組んで欲しい。でないと本来のジャーナリズムの役割を果たしていない。最近なんて芸能人の不倫報道ばかりで、このままでは日本は無知の人々の集まりになってしまう。
私はそんな社会が嫌だ。よりリベラルでオープンな心で全ての人々を受け入れられ、違いを価値として分かち合える、誰もが活躍できる社会になって欲しい。今回の事件の報道のされ方を踏まえて改めて、日本という国のマイノリティーがどれだけ苦しんでいるか考えさせられた。
日本は単一民族として知られていて、非常に平等で格差が比較的少ない社会として認識されているが、実はこれはとてつもない嘘で現実はそんな社会とは程遠い。
どれだけ部落の人々が福島原発後に苦しんだか、移民の人たちが働く権利を得られないか、LGBTQの人々に対する理解がないか。先日はご縁がありディスレクシアのシンポジウムに参加したが、如何にその病気自体が認識されてなくて (ディスレクシアという単語が変換機能で出てこないくらい)、彼らへの支援が日本では整っていないかを学んだ。私自身も帰国子女として、全てがルール化されている社会で苦しんだ経験もある。この社会はどれだけマイノリティーにとって生き辛いものか。
なぜ日本は平和な国として認識されているのか。それはあまりにも型のはまった社会で、保守的で、マイノリティーの人たちがとてもでもないけど声を上げられない、もしくは声を聞いてもらえないから。そんな人達が永遠とサイレントにいるくらいだったら一見荒れているように見えるけれどもアメリカのようにオープンに人種差別、宗教、政党について目に見える形で議論し、戦い、運動がある方がよっぽど健康的な社会だと思う。
なぜかすごく今回の事件の報道のあり方にとても不満を感じ、熱くなってしまった。でもメディアは当然ながら国民の情報の源であり、それに基づいて人々は考えを構築し、行動を起こすわけだから、彼らには本当に肝心な事実をありのままに提供して欲しい。そして、改めて自分も無責任な言動や行動に気を付けなくてはいけないと思った。
そして、この事件の報道のあり方から感じられた日本の保守的社会と文化。これをどうにかしたい。平等で平和と思われがちな日本社会だけど、気付かれていないだけで、蓋を開けてみるとそうでもない気がする。恐らくこれで苦しんでいるのはマイノリティーだけではない。誰にだって色々な事情があるから、お互いを理解し合い、受け入れる心が大切だ。きっとこれを思っているのは私一人ではない。一緒に日本社会を全ての人のために良くしませんか?誰もがありのままで受けいられ、活躍できる機会を得られる社会に。
今回この報道のされ方の違いに気付いたのは世界中の友達との繋がりのおかげ。こんなにも同じ事件について違う捉え方がされるなんてびっくりしちゃいました。改めて、リベラルアーツの考え方で、クリティカルシンキング、全ての情報を疑い、色々な視点から物事を見ることの大切さを感じました。自然とそんな風に考えるように育ててくれた自分の育った環境や共に過ごした人々に感謝です。
(1966文字)
公開設定で投稿されていたから、そのまま引用した。
本稿ではこの投稿を批判的に検証しつつ、この投稿に対する在学生はじめ関係者の反応も紹介し、ICUにおける"ignorance"の所在について考察を加えたい。
投稿の要約
問題の投稿は感情的な表現を多く含んでいるが、要旨は以下の通りである。
- 日本のメディアはignorant(無知)である
- なぜなら、イスラム国関連のテロであることは報じているのに、事件現場がLGBTのバーだったことを一切言わないからだ
- 私は複数の報道を参照したが、現場について「ナイトクラブ」以外の言及がなかった
- 例外的には同性愛者が集まる場所であるということに触れている報道もあったが、それらは「おまけレベル」でしかなかかった
- 一方、アメリカのメディアは同時点で「LGBTQ*1」が標的であったことをsignificance(重要性)をもって取り上げている
- したがって、日本のジャーナリズムは現実・事実と誠実に向き合っておらず、ジャーナリズム本来の機能を果たしていない
- 今回の報道を通して、日本におけるマイノリティーの苦しみについて考えさせられた
- メディアは国民の思考の源泉であるから、肝心な事実をありのままに提供して欲しい
その後、合計2000字に至るまで、目を覆うばかりの日本批判が列挙される。リベラルでない、オープンでない、芸能人の不倫報道ばかりだ、格差社会だ、福島原発、移民拒否……等々まくし立てられている。
個別の論点についての検討は控えるが、特段の根拠が示されているわけではない。
そして、投稿は次のように結ばれている。
今回この報道のされ方の違いに気付いたのは世界中の友達との繋がりのおかげ。
こんなにも同じ事件について違う捉え方がされるなんてびっくりしちゃいました。改めて、リベラルアーツの考え方で、クリティカルシンキング、全ての情報を疑い、色々な視点から物事を見ることの大切さを感じました。自然とそんな風に考えるように育ててくれた自分の育った環境や共に過ごした人々に感謝です。
投稿者が上記のような認識に至ったのは、「リベラルアーツの考え方(=色々な視点から物事を見ること)」と「クリティカルシンキング(=全ての情報を疑うこと)」のおかげだと考えているようだ。
日本のメディアは"ignorant"だったのか?
これらはICUの初年度過程で強制的に履修する"ELA"という講義で一年を費やして学ぶ(とされている)ものであり、ICUが「スーパーグローバル大学」に認定された理由のひとつでもある。
しかし、投稿者が批判する日本のメディアは、本当に"ignorant"だったといえるだろうか?
上の表をご覧頂きたい。
これは、筆者が独自に6月12日から13日深夜にかけての日本メディアの、本事件に関する、さかのぼれる限りで初動に近い報道を調査したものである。
テレビ局系を中心に既にページが削除されているものも散見されたが、この場合は他サイトのキャッシュを参照した。順序は概ね報道のなされた順になっている。
じつに13件のうち、「同性愛者のクラブであることについて言及していない」のはたったの2件である。百分率にすれば11%だが、なぜ、投稿者は「事件現場がLGBTのバーだったということを一切言わないのはなぜ?」という疑問を持つに至ったのだろうか。
もちろん、投稿者は同性愛者についての言及が為されている記事があることも認識しているようだが、あくまで例外的に過ぎないとの認識のようだ。だが、実際には同性愛者のクラブであることを述べていない記事がむしろ例外的であるし、保守的な論調で産経新聞社は「同性愛者」をタイトルの先頭に掲げた記事を、12日21時の時点で掲載している。
理性的な人物であれば、この状況をもって、日本のメディアが同性愛者のバーであることを報じないから"ignorant"であるとか、ジャーナリズム本来の機能を果たしていないとか、誠実でないとかの批判を加えることは為しえないだろう。
海外メディアはリベラルで寛容なのか?
また筆者は、日本のメディアと対比する形でアメリカのメディアを称揚している。アメリカのメディアは、日本時間6月12日前後の時点では何を報道していたのだろう。
ロイターはイギリスのメディアだが、この事件を頻繁に扱っている。この記事は、もちろん、アメリカに駐在する記者が書いたものだ。
日本の時事通信における「ゲイバーで」と類似する形で、ゲイのクラブであることはタイトル中で言及されている。ただし、ゲイという言葉はこのタイトルの(上のサムネイルに入っている)箇所が最後だ。
それ以降は、現地の警察へのインタビューや、当局者がテロかどうかを見極めようとしているといった保安的な観点の内容が続く。もちろん、ヘイトクライムであるという指摘もなければ、"LGBT"という言葉も登場しない。インド標準時で12日午後8時過ぎだから、その頃日本は13日午前0時前後である。時系列としても、むしろ遅いほうに属するだろう。
アメリカの代表的なメディアであり、リベラル・民主党派として知られているワシントン・ポストも、12日の事件直後の段階では通信社の情報をそのまま引用し、事件についての事実関係を報道するに留めている。
アメリカのメディアはウェブ上の記事を"Live Update"と称して逐次更新していく習慣があるため、過去のある時点における報道を正確に把握することは困難だ。オバマ大統領が事件を明確にLGBTの結びつけたコメントを発表して以降は、どの記事もLGBTについて"significance"をもって言及している。
ただし、ワシントン・ポストのメイン記事のタイトルは、それでも"Gunman who killed 49 in Orlando nightclub had pledged allegiance to ISIS"(オランドのナイトクラブで49人を殺した銃乱射犯はISISに忠誠か)である。LGBTよりテロを重視する比重は変わっていないし、同じ12日に事件の直接報道以外で最初にこの事件と関連づけて書かれた記事は"Orlando shooting: The key things to know about about guns and mass shootings in America"(オランド乱射事件:アメリカにおける銃器と乱射事件について知らねばならないこと)である。
アメリカでは、今回の事件は銃規制の強化という新しい論点を大統領選挙に加えたものと考えられているようだ。
筆者の英語力の限界から、あらゆる英語圏のメディアを子細に検討するわけにはいかないが、主要なものに注目する限りでは、アメリカのメディアも、"LGBT"関連の事件であることを日本のメディアと比較して特に強調していた様子は見られなかった。
むしろ、事件の当事国であることからか、安全に配慮する観点や、大統領選への影響という観点からの分析が目立つ結果になった。"LGBT"に関する視点の比重という意味では、日本のメディアにおけるそれと大差はなかったように見受けられる。
もちろん、13日以降はオバマ大統領の「ヘイト」発言もあり、LGBT問題を取り上げるメディアが大幅に増えている。日本でも、13日正午の時点で複数のメディアがこれを取り上げている。
ICUクラスタの反応
このように、投稿者は非常に強い調子で、感情的に日本のメディアや日本を非難していたが、実際に日米の報道を検証してみると、投稿者の意見には根拠がなかったことがわかった。
ここで、ICUの学生・卒業生らの間における、この投稿への評価を紹介しよう。これらも、公開設定で投稿されていたものに限って、匿名で引用した。
ホントだね。かなりの違和感を感じてた
色々な状況に立たされている人々に心を傾けられて、かつ義憤まで感じられる投稿者のハートを尊敬するよ
同意すぎてシェアさせてもらったよ‼︎‼︎どうにかしてこの体制がかわって欲しい
投稿は166件の「イイネ!」と12件の「シェア」を獲得しており、一般人による政治的な投稿であることを踏まえればかなり高い水準の支持を獲得している。
一方で、メディア業界で働くと称する卒業生からは、批判的なコメントが寄せられることも散見された。
水を差すようで悪いけれど、日本のメディアでも「同性愛者の集うバー」ということに触れているものはないわけではないよ。TBSに産経、朝日にNHKのニュースでもそう取り上げられていた
この記事で検証したような事実を、冷静に認識している卒業生も存在した。ただし、大変残念なことに、それは少数派に留まっている。
総括
投稿者に「色々な視点から物事を見ること」と「全ての情報を疑うこと」を教えたELAの講義は、当然ながら筆者も履修している。1年次はほぼ全ての時間がELAに割かれていた。
人々の感情に訴えかけ、事実に基づかない煽動によって特定の政治的立場の支持を広げようとすることを「プロパガンダ」と呼ぶ。
ELAがクリティカルシンキングを強調した最大の理由は、学生一人ひとりがプロパガンダに影響されず、独立した思考者として社会に対峙するためであった。ところが、この投稿の出現とその拡散は、図らずもリベラルアーツ教育とクリティカル・シンキングの限界を露呈したというべきだろう。
ICUの学生と卒業生は「福島原発」「移民」「マイノリティ」といった論点については、ELAで得た武器を全面的に活用して奥の深い思考ができるに違いない。しかし、その武器は自らが好意を持っている対象に向けると、たちまちガリガリ君の棒のような無力な何かに変わり果て、どんなプロパガンダでも諸手を挙げて賛同してしまうようになる。
今回、筆者のような観点からこの投稿を批判的に検討することは、フェミニズムやLGBTライツというイデオロギーの運動にとって、少なくとも利益にはならない。
そのため、他の問題に関しては誰よりも批判的であった学生であっても、30分もかからずに調べることができる事実を検証することができず、「イイネ!」を通じてデマゴーグを祭り上げ、シェアを通じてプロパガンダの拡散に協力する醜態を演じてしまうのだろう。
どんな能力も意思なくしてはその機能を果たさないのと同じように、クリティカル・シンキングも中立的な観点や知的誠実さと呼ばれる概念を有していなければ、自らの好意的なイデオロギーのプロパガンダに荷担する結果を招き、ignorantゆえにどんな知的営為も為し得ない場合よりも悪い結果を招くことがある。
ELAの教室で実際に教わり、今も記憶に残っているJennifer先生のシンプルな教訓を引用して今回の結びとしよう。
Your argument needs to be based on good eveidences. (Jennifer, Y)
※2017年3月20日 文体を修正